今こそ、本気で
「もう一度手放した春を
始めるだけさ」
BGM”えんそく「狂い咲く春のはじめ方」
母がいない環境に安心している…
やっとくつろぐことができた。
父は日中仕事でいないし、家は広いし、(広すぎてちょっと引いた。ここに一人で住んでんの?)のんびりした喫煙タイムは設けられるし…)
あーーー来てよかった!
とりあえず父が帰ってきたら晩酌のお供をすればなんの問題もないはずだ。
元々私の考えは父親よりだ。だからこそ、夫婦喧嘩の仲裁に入ると、
「そうやって二人して私を責めるのね!!」
と母の被害妄想が始まるわけなんだけども…。
責めてません。一度も責めてません。
感情的になってばーっと暴言を吐く母に、真っ向から正論をぶつけるのが父。
でも父も感情的になると、暴力に走る。
それを私がとめようとする。
結果として二人の八つ当たりが私に来る。
やーん。
そんな感じでうつ病になった。
私はいま!両親公認の無職だ!!
働きながら文章を書くのは私にとって非常に難しかった。
というか、鬱がひどすぎて本も読めないし、自分で書くなんてまるっきりできなかった。鬱の症状のひとつ、本が読めない。
学生の時の私に言ったらドン引きするだろう。え、そんな未来待ってんの…?って。
中学の時は勉強なんて教科書みりゃ全部書いてあんじゃん?という舐め腐った考えで授業中ずっと本を読んでいた。
まだ辞めないで全日制の高校に行ってた時は、図書室の奥の誰も来ないようなニッチな部屋に入ってソファで本読みながら寝てたら中学生が学校見学に来てものすごく気まずくなった。
大学に入ると、それまでと一転、私より本を読んでいる子がたく…さんいて、焦った。しかも岩波文庫ね。(伝わる?昔の文豪とか哲学者とかしか出してない出版社)
そんな私が!本が読めなくなった時の絶望感って言ったらない。
でも今はーー!読めるーーーー!
私は芥川賞取る女だって言い続けてきたけれど、それ、冗談でもなんでもなくって。
マジで、芥川賞取る女になると思っている。
応募する賞も決まった。
でも審査員の本読んでないから読まねば…。
仏さまが導いてくださったのかな、という話をしていた。
「お前は本を売るんじゃなくて書くんだ」って。
そんな感じ。
今の悩みはタイピングのスピードがめちゃくちゃ落ちたこと。
今、私は本が読める!
愛をあげるのに聞き分けのない子ね
父のいる長野に来た。
一週間で帰るけれども…、母と離れられて本当に良かった。
母は完全に病気だ。
でも、病院に行きたがらない。
不安定なのは自覚しているし、眠れないのも自覚しているから、軽い安定剤と眠剤貰ったら解決なのに…。
わたしはどうしたらいいの?
祖母が病院嫌いで、本当はもっと生きられただろうに、倒れた時には全身がんだった。そして三日後亡くなった。
どうしてそれを見てきたのに、病院に行こうとしないんだろう。
どうにかしなきゃ…
もういやだよ、なんで私が、私が。
私はまだ入院中だったはずなんだよ。治療も満足に受けられないまま退院してしまったんだよ。
辛いんだよ。
苦しいんだよ。
これ以上私を追い詰めないで。
もうやめてよ
きれいなものだけみてたいのなにもみたくない
空が見たい
今日はnoteに1記事上げて、あとは死んだように眠っていた。
過眠期なんだと思う。
実家にいるのがつらい。
母の感情の起伏と、すべての行動を見張られているという閉塞感。
正直言って、閉鎖病棟の方が自由だった。
煙草の本数まで把握されている。
今まで一日一箱だったのが半分くらいになったから減煙はしているんだけれども…
今日は母が出かける日で、足のリハビリを兼ねて散歩くらいしたかったんだけども、
絶対外に出ないでね!!!!!!!という念押しに次ぐ念押しで、はい…と頷くしかなかった。
鬱くて、温かい飲み物でも飲もう…とキッチンへ行けば、「何飲むの?」と言われ、最大限明るい声を作って、「ミルクティーでも飲もうかと思って!」と答える。
正直、辛い。実家にいるのが辛い。のんびりした喫煙タイムなんてあったもんじゃない。
さっきは、煙草に火をつけてから、「またすうの!?」と言われて、これで今日は最後だから…と言って吸い始めたら、これだけ言っても吸うのね!!と激怒されてしまった。
だって…火をつけた後じゃん…もったいないじゃん…ごめん…。
あああああああ息が詰まる!
今までは不仲という理由で実家にいるのが苦痛だったんだけども、今は過保護に次ぐ過保護で…。息が詰まる…。頼むから一人にさせてほしい。
感謝はしている。感謝はしているんだよ。
クスリの管理も厳しすぎるというか…眠いなら眠剤いらないんだよ……。
本当に処方通りに飲ませなくてはいけないという感じで、中途覚醒用のベルソムラも置いておいてくれたらいいのに、母から夜中貰わないといけない。
息苦しい!!!!!!!!!!!
外に出させてください。コンビニくらい行かせてください。
足のリハビリしなくてはいけないのに…。
うつヌケという本を渡されたけれど、私にはものすごく逆効果で鬱鬱鬱!だった。
仕事で頑張っていた人が過労で鬱になり、休暇を貰って回復する。
そんな話ばかり。
そもそも仕事ができないことに酷くコンプレックスを抱いている私には、一か月の休暇で治るなんて笑ってしまう。四年間の闘病舐めんな。
はあ…ヒトカラに行きたい。
外へ出たい。
散歩したい。
ゆっくりのんびり煙草が吸いたい。
いつまでこの異常なまでの監視は続くのだろう。
私の精神が持たない。
罪と罰
「一度死のうとした人は
二度と幸せになれないって
知らない誰かが言っていた
なんだか僕もそんな気がした」
──BGM”マイナス人生オーケストラ「お負けの人生」
母が、パニックを起こすようになってしまった。
夜中…私がトイレに行っているときに、私の部屋にわたしがいない、ということでパニックになり仕事を休んでしまったり。
昨日は…大変だった。酔った母が私の薬を管理しているのが分からなくなり、21日まで分けてくれているのに、薬の袋を並べて何を渡せばいいの、わからない、わからない、沈むが死んじゃう、沈むが死んじゃうと泣きじゃくり、私は死なないから!死なないから!とずっと言い聞かせていた。
辛い。そこまで追い込んでしまったのは私だし、私の精神が、持たない。
死にたい。死にたいのに、私は死なないから、と言い聞かせる、私は全然死にたいなんて思ってませんよ。と、振る舞う。
これがかなりキツイ。
かなり私も、精神的にきている。
ちょっとだまして精神科に連れていこうと思っている。
大好きな人を失いそうで、久々に吐いてしまった。
あなたの写真を入院中どれほど見返したか。どれほど会いたかったか。
私が悪いの、全部。
私はこれからどうやって償っていけばいいのだろう。
大好きな叔母は、生きているだけでいいと言ってくれたけれど。
私が傷つけて、それでもそばにいてくれる人に、どうやって贖罪すればいいのだろう。
遠くへ、いきたい。
痛む足がそれを邪魔するけれど。
遠くへ。遠くへ。遠くへ行きたい。
ごめんなさい。
私が、私を殺そうとして、ごめんなさい。嘘をついてごめんなさい。隠し事をしてごめんなさい。
戻りたい。元気だったころに戻りたいよ。
こんなの私じゃない。アクティブで、沢山働いて、うんと勉強もして、ニッコニコで色んなところ飛び回っちゃう。それがわたし、だった、と思う。
世界のすべてに怯えている。
今日も、痛い足を抱えてうずくまって夜を耐えるんだ。
それが私の罰だから。
イッヒ・リーベ・ディッヒ
すごく、辛いのだけれど、今までなら金パブいれりゃ何とかなる…って思っていたのを、ちゃんとした治療にしようと決意したから、耐えている。ジィっと、耐えている。
入院中に、完璧主義だと言われたんだ。
完璧主義なのに何も完璧じゃないから自分を責めるんだって。
本当に。私は何も完璧じゃない。何もできない。
Twitterのアカウントを消した。
十年…ツイ廃だった。まだ気持ちは落ちついていないんだけれども、慣れるしかない。そうするしかない。
大事な人を失いたくないから。
何も完璧じゃない私は、どうやって生きていったら良いのだろう。
彼の体の一部になりたい。ずっと、一緒にいたい。
このまま終わってしまうのなら、私は。
助けてと叫べど、誰も助けてくれないのは知っている。それでも、助けて、と、叫びたい。
イッヒ・リーベ・ディッヒ
伝わってほしい。伝わって、ください。
仏教の勉強をしたい。祖父は苦学生だったから、ほとんど独学で学んだと聞いた。
私は勉強しないといけない。
祖父の年齢を考えても、急がなければならない。…いや、急ぐ必要はないし、急ぐのは私の病状に障るから、ゆっくりゆっくり、進んでいこうと思うけれど。
ゆっくり、ゆっくり。慌てないで。自分を一番大切にして。
座禅をしよう。
心が落ち着くのを、待とう。
自宅療養と、決意
右足が痛くて…眠れないのでこれを書いている。
だ。当然だ。病棟内を歩くのにもびっこ引いていたのだから。
私はよほどのことがないと人前で泣けないから、にこにこしてしまうから、「足が痛い子」だと最後まで思っていた患者さんもいると思う。それはそれでいいのだけれど。
(まあ足が痛いという理由で精神科に入院はしないよね)
今日はいろんな病院に行って、入院希望を出したのだけれど、どこも受け入れは困難だった。
唯一ベッドに空きがあるところは大部屋しかなく、しかもカーテンの仕切りがないということで、プライバシー!!!と思って遠慮した。
結果、自宅療養に切り替えることにした。
しばらくは実家で過ごすと思う。薬の管理は母に任せることになった。OD癖があるので、とてもありがたい。
不安だったけれども、私はドラッグストアには行かない。と思う。
今思うと、金パブ三十錠くらい飲んで働いていたなんて馬鹿げている。
「無職」になるのが怖かった。社会の歯車から外れるのが怖かった。
だから私はODを繰り返して、金パブでなんとか頑張って、レタスで意識をぶっ飛ばす、という行為を繰り返していた。
思えば、入院中に自殺願望が出て隔離されたのはクソ主治医のせいなのだから、私は外の世界に怯えることはそんなにないのだ。
あうあ…足がいたい…
私のことを支えてくれた祖父に電話をした。
私の書いた渾身の手紙を読んで泣いてくれたと言ってくれて、嬉しかった。
単身赴任中の父にも電話をした。入院費…お願いします…。
堂々と「無職」をやろうと思う。
恋人が、家に来てくれた。
本当にうれしかった。
愛してる。それ以上の言葉が見つからない。
祖父は僧侶で物書きだ。
私は隔世遺伝だと思う。
「青空を 手鏡として 花ひらく」
祖父に貰った言葉。
私は生きていく。
血反吐を吐いて泥にまみれて泣きじゃくっても、生きていく。
生きたいとか、死にたいとかじゃなくて、生きていくんだ。
j
退院当日
一か月しかいなかったのに、ずっとこの部屋にいた気がする。
ホールに出てだべって、手紙を書いて日記を書いて、本を読んで薬を配られて。
私は退院するのが怖い。すごく怖い。その気持ちを落ち着けるためにこれを書いているんだけども。
スマホ、使えるようになるんだな。それもなんだか怖い。ローランド様の言っている、「人のSNS見るのはタンクトップで蜂蜜取りに行くようなもん」っていう意味が分かったっていうのもある。
怖いよ。
足が痛い。
南条あやさま、あなたはどういう気持ちで最後にカラオケボックスに入ったの?
歌は歌った?
何を歌った?
涙は流した?
教えてほしい。
外に出たら、薬が買える。
ドラッグストアはどこにでもあって、私の大好きなあれやそれやが売ってる。
私は自制できる?
たすけて。
「おめでとう 君は息を吹き返した 望んでもないのに
与えられた 辛いだけの お負けの人生」